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全盲になった私の目

このブログでは全盲になったみくりの日常を綴っていきますが、その前になぜ全盲になったのか?いつから目が悪いのか?について書いていきたいと思います。

生まれつきの近視

私がまだ2歳ぐらいの小さい頃、よくテレビにしがみついてたそうです。
両親は「この子はテレビが好きで離れないよね」なんて言っていたとか。
ところが、それは目が悪かったせいだったようで、幼稚園の先生に指摘されて生まれつき近視だったと判明しました。
というわけで、私は物心つく前からビン底メガネと言われるような分厚いメガネをかけてたんですよね。
でも、メガネをかければ1.0ぐらい見えていたのかな?
学校で前の席にしてもらったりというような配慮をしてもらった記憶がありません。
ただメガネが邪魔で走りにくいとか、プールの時間に見えなくて困ったっとか、そんな不便さだけ感じてました。笑

網膜剥離の発症

転機となったのは中学1年生の冬のこと。
ある夜、ゲームをしていたら左目に紐のような影が現れ始めたんです。
次の日には視界の一部が黒い影で覆われました。
病院に行くと”網膜剥離”という病名を告げられ即入院、翌日には手術することになったんです。
無事に手術が終わり退院してから数日後、今度は右目が網膜剥離になりました。
何度も再発を繰り返し、やっと落ち着いたのは中学3年生の夏でしたね。
その頃には右目がわずかに光を感じる程度、左目は矯正視力で0.6になっていました。
ルーペを使わないと細かいものが見えなくて、授業で裁縫みたいに両手を使う作業がある時には苦労しましたね。
でも、なぜか右目が見えなくなったことにはあまりショックを受けなかったんですよね。
それなりに左目が見えてるから困らないなと楽観的だったのか、冷静だったのか…。笑

突然の再発→全盲

高校に入ってからは10年以上網膜剥離の再発せず、目の状態は落ち着いていました。
とは言っても網膜剥離の後遺症があって、暗い場所で見えづらかったり(夜盲)、周囲が見えてなくて人や者にぶつかったり(視野狭窄)といった症状が気になるようになっていました。
視力も徐々に落ちていて、そのうち見えなくなるんだろうなぁと漠然と考えながら過ごしていたある日のこと。
朝起きると視界が暗い…。見えてはいるけど暗かったんです。
病院へ行くと「眼底出血だね。様子見て2週間後、いや一応1週間後に来てください。」と言われました。
1週間経たないうちに視界は真っ暗となりました。
2週間って言ってたくらいだから一時的にこうなるものなのかな。1人じゃ病院行けないしちょうど1週間になる日は親が休んでくれるからそこで連れてってもらおう。)
次に病院へ行った時には「網膜剥離になってますね。大きい病院紹介しますのでそちらに行ってください」と言われ、紹介先の病院で即入院、翌日手術となりました。
でも今度は手術しても見えるようにはならなかったんですよね。
3回くらい手術しても視力は戻らず、光を感じることもできなくなりました。
網膜剥離が重度だったことに加え、今まで何回も手術してきたダメージが大きかったようです。
異変を感じたら、不安に思ったら早めに病院に行くべきだったんですよね。

どん底からの復活!

完全に視覚が失われた時はさすがにショックが大きくて連日泣くこともありました。
家族に当たることも少なくありませんでした。
でも、将来が見えない焦燥感に耐えられずいろいろ挑戦していたら、ちょっとずつできることが増えていって、落ち込んだり悩んだりすることが減りました。
今では料理をしたりスポーツをしたりするようになったし、こうやって視覚障害者の生活を発信できるようにもなりました。
何があっても支えてくれる家族はもちろん、見えない私を理解してくれるリハビリセンターの職員や視覚障害仲間の存在が大きかったと思います。
理解してもらえる、共感できるって心理的に大きな支えとなるんですよね。
このブログで私も誰かの支えになれたらいいなと思いながら、これから日々の出来事を書いていきます☆

コメント

  1. つむぎ より:

    自分は割と早い段階で左目が見えなくなったけど
    確かに片目がまだ見えているからってことで落ち込んだ記憶ってあまりないですね
    まぁ自分の場合は性格的なものもあるとはおもいますがw
    ってことでコメントできるかお試しでございました♪
    ブログ運営がんばって✌️

    • みくり より:

      つむぎさん
      コメントありがとうございます。
      年齢的な要素もあるかもしれませんね。
      行動範囲が狭いうちだと、影響が少ないうちに順応できるのかなと思ったりします。
      おかげさまで、コメント承認と返信の練習ができました♪

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