先日、映画『梅切らぬバカ』の宣伝で加賀まりこさんがテレビに出ていました。
少し共感できるところがあって、加賀さんの言葉がとても印象に残ったんですよね。
映画『梅切らぬバカ』とは?
自閉症を抱える息子(塚地武雅)と年老いた母(加賀まりこ)が自立を模索するストーリー。
障害者に対しての偏見だったり、地域コミュニティとの関わりだったり、母がいなくなった後に息子がどう生きていくのかだったり、いろんな問題を取り入れながら、温かい親子の絆とありふれた日常が描かれているそうです。
映画のタイトルは『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』ということわざに由来しているそうですね。
「樹木の剪定には、それぞれの木の特性に従って対処する必要があるという戒め。転じて、人との関わりにおいても、相手の性格や特徴を理解しようと向き合うことが大事」という意味のことわざ。
初めて聞きましたが、すごく良い言葉だなと思いました。
心に響いた「ただ微笑んでほしい」
加賀さんの息子さんは、映画と同じ自閉症だそうです。
家族で外出している時に、息子さんのこだわりが強くなって大きな声を出してしまうというエピソードを話されていたのですが、その中で加賀さんがおっしゃった
「すれ違う人が何とも言えない顔をなさるんですよね。手を差し伸べなくてもいい。理解しなくてもいい。道で会った時にただ微笑んでもらえたら。」
という言葉が何だかすごく心に響きました。
当事者だから持つ言葉の重みもあるんだろうけれど、自分と重なる部分があると感じたからかもしれません。
知るだけで見方は変わる
「白杖を持ってるのにスマホを使ってるって見えてるの?」
「人をよけてたから絶対見えてるよな、何で白杖を使ってるの?
SNSでこんな投稿を見かける旅思うんですよね。
少し知るだけで偏見や思い込みがなくなって、相手を傷つけなくてすむのになぁって。
電車通学を始めた高校生の頃は、私も突然の大きな声やずっと何かをつぶやいている人に不快な顔をしていたと思います。
でも、自閉症の人に密着したドキュメンタリーで、聴覚過敏があると嫌な音をかき消すために声を出している、と知ってからはあまり気にならなくなりました。
最近では、私が道の端っこを歩いてよけれないから、その人にとっての”いつもの道”を邪魔しちゃってるんじゃないかなと思うこともあります。
相手のことを少し知って想像すれば、見方も感じ方も変わるんですよね。
いろんな人の”日常”を知ることから
この『梅切らぬバカ』も『恋です~ヤンキー君と白杖ガール~』もそうですが、最近は障害やLGBTQなどのマイノリティを取り上げた作品が増えていますよね。
それも”特別”な設定ではなく”日常”を描いているものが多いように感じます。
このブログもそうですが、Twitterやyoutubeでいろんな人の”日常”を知ることもできます。
『桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿』
無意識に敬遠したり傷つけたりしないように、ただ優しく微笑むことができるように、ほんの少し相手を知って想像できるようになりたいですね。
映画館に行けるかわからないけど、この映画観てみたいな。
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